50歳からの縁ディングノート #003

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【今日のワンポイントアドバイス】

小さいころの記憶や家族の

想い出深い出来事はなんですか?

※ワイキキビーチと母と私。

実母が日系アメリカ3世というか、祖父が日系アメリカ帰米2世。
曾祖父が熊本から開拓民としてハワイに移住して、
祖父が生まれたルーツなので、アメリカ人のハーフというより、
熊本人のハーフって感じです。

ひゃーが飛んでる。
が、英語に聞こえるくらい、
英語と日本語のミックスで話す祖母でしたので、
San Joseの祖父の家に行く度に、
英語より熊本弁を覚えて帰ってきていた記憶が。

小学校5年生からアメリカで育ち、
サンフランシスコの短大を出て、
祖父と一緒のバンクオブアメリカ勤め、
留学に来ていた父と結婚して日本に来た母。
→大反対された上に結婚したそう。

来日当時はあまり日本語が上手じゃなかったようで、
下の弟は英語で育ててましたから、
奥様は魔女とかセサミストリートとかは、
英語で聞いていたと思います。
→ダーリン大好きでした。

3歳で初家出したのですが、

自分の意図していることが伝わらないとイライラする。
または、自分の思い通りにならないと癇癪起こす?
そんな子供自分から、成長している気がしなくて(汗)
時々反省したりしますが、

抜群の行動力は3歳から健在だったわけです。

10代は本当に自分のアイデンティティと戦っていて、
自分は何者なんだろうって、
悩みまくっていた時代でもあります。
現在、小学校5年生くらいの時から思っていた、

将来、社長になる!

を実現しているわけですが、
10代のころにどんなことを思い、悩み、
何に躓いていて何がうまくいった。
こんなことに興味があった。
そんなことの延長線上に今があると思われます。

実際、父の姉(叔母)の家にさんざん預けられていて、
その家が建築模型を作る一級建築士の家。
そこから不動産に興味がわいて現在に至るので、
興味があって好きだから仕事が続いているのです。

住む場所変え、結婚相手が変わっても、
唯一変わらなかったのは不動産の仕事でした。

これも、父方の祖母から、
「衣食住の仕事についていたらくいっぱぐれない」
そう、小さいころから教えられていたので、
それ以外の仕事ってしたことありません。

今の人生を振り返り、見える化することによって!

残りの人生をどう豊かに生きるヒントにつながります。
貴方の人生の見える化の第一歩が縁ディングノートです。
一人で壁打ちするのが大変な方は、
伴奏もいたしますのでお気軽にお問合せください。

人生をハッピーに♪

笑顔相続サロン®南青山 代表 稲場晃美


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この記事を書いた人

お金と不動産相続のコンシェルジュ。
笑顔相続サロン®南青山の稲場晃美(てるみん)です。
令和元年に急死した主人を見送ったことをきっかけに、笑顔相続の道へ。
おひとり様女子の相続対策や、お亡くなりになった後の相続事務サポートを通じて、お客様のお困りごとをお手伝いします。

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